広島大学は東広島、霞、東千田の3つのキャンパスに11研究科(2020年4月より4研究科に統合)、12学部、1つの附置研究所、1つの全国共同利用施設および20を超える学内共同教育研究施設等が設置されている。人員構成としては、教員約1,800名、職員約1,700名、学部学生約10,700名、大学院生約4,500名で、大学規模としては大きい方である。現在、トップ型スーパーグローバル大学(SGU)に採択されており、70を超える国・地域から約1,900名の外国人留学生を受け入れている。今後はさらに受け入れ数の増加が見込まれ、加えて海外の大学・研究機関との共同研究も推奨されているため、海外の遺伝資源を持ち込んでの研究の増加が見込まれる。
広島大学では、2017年3月ごろから名古屋議定書への対応を始めた。5月に我が国の名古屋議定書の締結が決まり、関係6省連名のABS指針施行に関する通知と同時に出された文部科学省通知に記載の、大学が行うべき対応・取組みととして、1.担当部署・担当者の明確化、2.現状把握、3.機関内プロセス及びルール作り、4.機関内周知、の求めに基づき体制を構築した。
始めに、「2.現状把握」に取り組むためアンケートによる学内調査を行った。アンケートの原案は2017年3月に作成され、この原案はABS学術対策チームに提供しているため、「指導する留学生が遺伝資源を持ち込んでいるか」という問いを追加した以外は、ABS学術対策チームのホームページからダウンロードできるものとほぼ同じである。アンケートは2017年6月に学内で研究活動を行う全ての構成員(約2500名)を対象に行い、回答率は30%程度(約700)であった。その20%程度(約140)が海外の遺伝資源を使用しているとあったが、多くはストックセンターからの入手で名古屋議定書が適用外であると判断された。また、回答者の60%程度が名古屋議定書を知っていると答えていたが、理解の程度は低いものと推定され、事前の名古屋議定書の学内周知が必要であったと思われた。さらに、未回答者には海外の遺伝資源を利用していると思われる構成員が含まれていたことから、ある程度時間をおいて再調査や周知活動を行う必要性が感じられた。
1)機関内プロセスの想定と担当部署
次に、研究担当理事・副学長の指示により、学術室が「1.担当部署・担当者の明確化」と「3.機関内プロセス及びルール作り」に取り組んだ。これらは基本的に切り離せないものであるため、まず機関内プロセスを想定し、これに沿って担当組織を決めるのが合理的と考えられた。すなわち海外の遺伝資源を利用する際の機関内プロセスには、①遺伝資源の利用者(学内研究者及び海外からの来訪研究者や留学生等)への事前周知・指導、②名古屋議定書が適用されるかの確認・判断、③提供国の共同研究者・共同利用機関との契約(MAT)、④提供国政府との手続き(PIC)、⑤持ち込みと報告、⑥利用と利用状況のモニタリング、というステップがあると考えられた。想定された機関内プロセスを図1のフローで示す。各ステップでどのような組織が関わるか以下に記載する。
図1 遺伝資源の取得の手順のフロー(機関内プロセス・2017年開始の時点
① 遺伝資源の利用者への事前周知・指導
海外の遺伝資源が持ち込まれる際に、利用者が名古屋議定書を理解しているかが重要である。まず、学内研究者に対しては何らかの方法で学内周知を行うこととし、海外からの来訪研究者や留学生への事前周知・指導の支援は国際室が想定された。
② 名古屋議定書が適用されるかの確認・判断
海外から持ち込まれる遺伝資源に名古屋議定書が適用されるかの確認と判断が必要である。これらは事務担当組織では難しいため、遺伝資源に造詣の深い学内研究者(教員あるいはURA)が対応する必要があると考えられた。そこで、全学組織として教員によって構成される「ABS推進室」を新たに設け、これを学術室が支援することにした。また、実際の案件の処理については、内容に応じてABS推進室から関係する事務組織へ支援を依頼することにした。
③ 提供国の共同研究者・共同利用機関との契約(MATを含む契約)
相手国の共同研究者あるいは共同研究機関とのMATを含む契約の締結の際に必要な情報は学内研究者が取得することにした。MATを含む契約は広島大学と相手国の共同研究機関の間で締結するものと捉え、支援組織として社会産学連携室(有体物担当、知財担当)が学内研究者と協力して行うことにした。
④ 提供国政府との手続き(PIC)
遺伝資源提供国からのPICの取得のための情報は、学内研究者が提供国の共同研究者・共同利用機関に依頼して入手し、支援組織として社会産学連携室(有体物担当、知財担当)が学内研究者と協力して必要な申請書を作成することにした。申請書は直接あるいは共同研究先を経由して提供国政府もしくは関係機関に提出し、PICを取得することにした。
⑤ 持ち込みと報告
MAT契約とPICの取得が完了すれば、学内研究者が直接あるいは海外からの来訪研究者や留学生が遺伝資源の持ち込みを行い、その後、学内研究者はABSクリアリングハウスに国際遵守証明書(IRCC)が掲載されたかの情報を確認し、「ABS遺伝資源取得報告書」をABS推進室に提出することにした。ABS推進室はこれを受けて、IRCC取得に係る情報を環境省に報告することにした。なお、これらの一連の手順については学術室が支援することとした。
⑥ 利用と利用状況のモニタリング
遺伝資源の入手後、5年経過後に環境省に利用のモニタリングに係る報告が求められたときは、学内研究者は「ABS遺伝資源の利用に関する情報報告書」をABS推進室に提出し、ABS推進室が環境省に報告する。このときの支援は学術室が行うことにした。
なお、ABS指針違反、その他提供国や共同研究機関・共同研究者からの申立てなどについては、学内研究者、関係部局、ABS推進室、学術室ならびに財務・総務室(リスクマネジメント担当)が協力して対応することにした。
2)ルール・書式等の作成
次に、想定された機関内プロセスに沿ってルール・書式等を作成し、関係組織間での摺り合わせを行った。
① ABS推進室
名古屋議定書およびABS指針に則った海外の遺伝子の入手においては複数の事務組織が関与する必要があるが、前述のとおり、事務組織とは独立し、適切に関係事務組織に指導や助言を与える司令塔的な役割を持つ組織を新設することになった。2017年7月に「ABS推進室規則」が学内規則として定められ、これに基づきABS指針の施行日の8月20日に「ABS推進室」が設置された。ABS推進室の構成、業務、位置付けについて図2に示す。この全学組織は、海外の遺伝資源を利用している、あるいはその可能性がある部局から選ばれた遺伝資源に造詣が深い教員で構成されている。推進室では、利用する遺伝資源に名古屋議定書が適用されるかの判断、専門的見地からの遺伝資源利用者への助言、対応事務組織への指導・助言および情報収集が当面の業務となるが、いずれは遺伝資源の適法取得の確認、ABS違反事例の対応検討、環境大臣からの遺伝資源の利用情報提供の求めへの対応など、複雑な業務を担うことになる。
図2 ABS推進室と対応する支援組織(2017年の開始時点)
遺伝資源の入手に際しては、利用者はABSチェックシートに遺伝資源に関する情報を記入し、部局の推進室メンバーの教員による確認後、学術室を通してABS推進室に提出する。ABS推進室ではABSチェックシートの記載を基に名古屋議定書が適用される遺伝資源かどうかを判断する。名古屋議定書が適用されると判断されれば、MAT契約およびPIC取得の支援を社会産学連携室に依頼する。ABS推進室は事務組織から独立しており、またこれらの上部組織でもないため、関係支援組織に対してはあくまでも指導・助言を行うことしかできない。ABS支援室から依頼された多様な案件が関係支援組織で処理されることを担保するため、依頼案件については学長及び理事で構成される役員会で報告し、各事務組織の担当理事に徹底することで円滑な運用が行えるようにした。
②書式等
「ABSチェックシート」は海外から持ち込もうとする遺伝資源に名古屋議定書が適用されるか判断するための書式である。海外から遺伝資源の持ち込みを予定している学内研究者、海外からの来訪研究者、留学生等はチェックシートに必要事項を記入して提出し、ABS推進室が確認と判断を行う。
「ABS遺伝資源取得報告書」は正しい手続きのもとで学内研究者が直接あるいは海外からの来訪研究者や留学生が遺伝資源の持ち込みを行った際にABS推進室に提出するもので、2種類作成された。1つめは遺伝資源の持ち込みに対して、ABSクリアリングハウスに国際遵守証明書(IRCC)が掲載されたことを報告する書式である。ABS推進室はこれを受けて、IRCC取得に係る情報を環境省に報告する。2つ目はIRCCがABSクリアリングハウスに掲載される前に相手国の許可証などの情報による適法取得を報告する書式である。
「ABS遺伝資源の利用に関する情報報告書」は学内研究者が遺伝資源を入手して5年経過後に環境省から遺伝資源の利用に関連する情報を求められた際、ABS推進室に提出する書式である。ABS推進室は、これを基に遺伝資源利用関連情報を環境省に報告する。
③ 関係組織間の摺り合わせ
ABS推進室により、機関内プロセスのフロー(図1)を用いて関係組織間の摺り合わせが行われた。すでに通常の業務で負荷がかかっている状況でもあり、各支援組織からは新たな取り組みであるABSへの対応に対しての懸念や課題も示されたが、各支援組織の担当理事に理解を求め、まずは想定されたフローに沿って進めることで関係組織の支援体制を軌道に乗せることを優先した。
名古屋議定書およびABS指針の学内での周知については、次のような講演会、ホームページ、部局訪問で対応した。
1)講演会
ABS指針の施行直後の2017年9月4日に学内でABS講演会を行った。ABS学術対策チームの鈴木睦昭氏とABS推進室長が講演を行い、参加者は約60名であった。
2)ホームページ
ABS指針の施行に合わせてABSホームページを開設した。内容は、ABSの概要、指針・通知、学内規則、学内体制、標準的フロー図、様式、外国人留学生向けABS説明資料、講演会関係などで、前述の「ABSチェックシート」、「ABS遺伝資源取得報告書」、「ABS遺伝資源の利用に関する情報報告書」がダウンロードできる。
3)部局訪問
2017年11~12月に研究担当副学長とABS推進室長で文系の部局を含めた全部局の教授会、教員会を訪問し、名古屋議定書、ABS指針および学内体制について周知した。
1)課題
① 学内アンケート
学内アンケートは未回答者も多く、遺伝資源の利用者を全て把握するのは困難であった。また、回答には使用している遺伝資源については海外リソースから入手されたものなど、世界の多くの国で保有され名古屋議定書が適用されないものが多く含まれていた。したがって、アンケート結果はABS対応において十分に活用できておらず、アンケートは名古屋議定書とABS指針について周知した後に実施するのが有効であると考えられた。
② 周知
全部局の教授会・教員会などを訪問し、全教員への周知することは必要であるが、徹底するなら、遺伝資源を利用している部局で、出席を義務化したセミナー等を実施することが必要であろう。e-ラーニング教育などがあればよいかもしれない。
また、学内のABSホームページの存在が知られておらず、部局訪問等で十分な周知が必要と思われた。
なお、周知において規制の厳しさや手続きの煩雑さを強調してしまうと、必要な遺伝資源の持ち込みまでも躊躇させてしまい、研究の進展が阻害される可能性も考えられる。
③ 留学生、海外からの来訪研究者への周知徹底
留学生については、入学時に簡単な説明を行うことが望まれるが、具体的にどの組織が実施するかが課題になっている。また、留学生の遺伝資源の持ち込み希望については、留学の問合わせのタイミングなど早期に把握しておく必要がある。その際は留学生へのABSの説明は受け入れ教員が行わなければならず、それが徹底できるかも課題である。さらに、海外からの来訪研究者については、直前に遺伝資源の持ち込みが提案されることが多く、その上ABSについてほとんど理解していない場合が多い。特にPICへの認識がないこと多く、名古屋議定書とABS指針の確実な履行のためには材料の持ち込みを拒否せざるを得ないことも考えられる。
④ 事務対応
現状では、担当事務組織におけるABSへの理解度や当事者意識の不足が感じられる。また、未経験の業務が追加されるため、現在の事務処理能力を超えるといった問題もある。さらに、提供国によって措置が異なるため、案件ごとに対応を変えざるを得ず負担は増大する。ABSの知識の不足、経験不足を補い、負担を軽減するには、まずはMATを含む共同研究契約書のひな型が必要である。また、スムーズな処理を求めるなら、学内研究者が案件を支援側に丸投げするのではなく、ともに対応するという姿勢が必要と思われる。
2)今後の展望
何といっても、遺伝研・ABS学術対策チームとの連携が必要である。さらに、事例から得られる情報を蓄積し、提供国ごとの対応をまとめていくのがよい。そのためには、多くの機関が入手情報を出し合い、それらを共有することが望ましい。
また、ゆるぎない体制構築のために、機関は人員配置に十分配慮する必要がある。とくに、短期間で担当者が入れ替わるような体制は好ましくない。
(2018年6月初版、2019年9月改定)